
27年経ちました。
当時は、歯科医になって2年目。元町にあった父の診療所で一緒に診療していました。
地震当日は火曜日でしたが、前日が成人の日の振替休日でした。
須磨の高倉台の実家は無事でしたが、かなり揺れました。当然いままで経験したことのない強さと長さの揺れでした。
これはただ事ではないと感じていましたが、JRは動いているかもしれないと父と二人で須磨駅まで歩いて行きました。後から考えると電車が動いているはずがありません。駅に近づくにつれ、崩れている家屋が目立つようになりました。
須磨駅に着いて駅員さんに状況を聞いてみると、神戸駅付近で車両が脱線していてしばらくは動かないとのこと。歩いて元町へ向かうことにしました。
国道2号線沿いに東へ歩いて行くと、長田区に入ったあたりで住民とみられる人たちが慌ただしく動いておられました。それを横目に歩き進みましたが、後から思えば誰かが下敷きになっていたり、火が出始めていたのかもしれません。
兵庫区のもう少しで中央区というところで偶然空車のタクシーが停まっていたので、元町まで乗せてもらいました。タクシーの運転手さんの話では、地震の瞬間は角材でも踏んでしまったかと思うような衝撃だったそうです。
元町に着くと景色が変わっているところがいくつかありました。栄町通にあった中国銀行の建物が完全に倒壊してたように覚えています。
地震発生の当日は、いたるところで都市ガスの臭いがしていたように思いおます。診療所があったビルに入ると停電しているので真っ暗で、ガスの臭いがしていました。
当時私は喫煙していてライターをもっていました。いまから考えるとぞっとするのですが、ガスの臭いがする中、ライターの火を頼りに5階まで階段を上がっていきました。よく引火しなかったことだとぞっとします。覚えていませんが、途中で気づいて消したかもしれません。
診療所に入るとカルテ棚が倒れていて普通には中に入れず、横倒しになっているカルテ棚を乗り越えて入りました。乗り越えた瞬間、足の下でバキッと嫌な音がしました。これから患者さんの口に入る入れ歯を踏んづけて壊してしまったのです。
診療所の中はぐちゃぐちゃで、模型棚からざっと80人分ほどの患者さんのスタディーモデル(診断用模型)が飛び出し、床に散乱していました。最もよく飛んでいた模型は3メートルほど飛んでいました。それらの模型をテーブルの上に集め、バラバラになった上顎と下顎をそろえていくパズル作業が必要でした。
引き出しという引き出しは全部開いていて、診療台についているライトのアームはあちこちに動いていましたが、それぞれ潰れておらずそのまま使えました。
診療所の中を整理していると、外でガンガンガンガン大きな音が鳴っています。このビルのようです。誰かがエレベーターに乗ってボタンを押したのでしょう。屋上のエレベーターのモーターは動いているのですが、エレベーターの箱がどこかで引っ掛かって動かず、モーターだけが空回りし続けている状態でした。このままでは火が出てきそうだったので、消防に連絡して来てもらいました。屋上のエレベーター室には鍵がかかっていて入れなかったので、消防士さんがガラス窓を割って中に入りモーターの電源を止めてくれました。ガラス窓を割るときに割っていいか許可を求められたのですが、自分の物でもないのに「お願いします。」と言ったのを覚えています。緊急事態なので。
このエレベーターの話は、ずっと地震当日のことと記憶していましたが、いま考えると地震の当日は神戸・芦屋・西宮のいたるところで火災が発生していたので、エレベーターひとつのことで消防士さんが来てくれるはずもなく、また地震発生当日は停電していたはずなのでエレベーターも動かなかったと思われるので、私の記憶違いで地震発生の翌日以降だったのだろうと思い返しています。
ひとしきり診療所を片付けて早めに帰宅することにしました。偶然元町商店街で父の友人の方に出会い、その方の車で父と私は須磨の実家まで送ってもらうことになりました。
車は大開通を西に向かっていたのですが、渋滞していて高速長田駅のあたりで全く動かなくなり、私だけ車を降りて徒歩で自宅へ向かうことにしました。
渋滞で動かない車を横目に歩いていると、多くの大きな消防車を見かけました。そのほとんどは他府県の消防車で、覚えているものの1台には枚方市消防局と書かれていました。止まっているだけでなにもできないような感じでした。
もう少し西に進むとあちこちで大きな火災が起こっていて、その熱を顔や肌で感じるほどでした。板宿あたりでは実際にバケツリレーをしている光景も見かけました。
これはまさに長田区の大火災の現場だったのだと後に気づくことになります。
私が帰宅した1時間ほど後にそのまま車に残って送ってもらった父が帰宅しました。歩く方がずいぶん早かったことになります。このようなことで地震当日はガス欠で動けなくなった車もあったと聞きます。
このようにして地震発生の当日は終わりましたが、この後電気ガス水道のライフラインをはじめ、あらゆる復旧が始まるのです。復興などはまだまだ先の話です。
とりあえず自転車を買いに行って、父と2人での須磨⇔元町の自転車通勤が始まりました。
神戸 三宮 各線三宮駅からフラワーロードを南へ約5分 神戸市役所東向かい
船曳歯科クリニック 078-222-8020